宮廷内の池の傍。

どうしても寝つけなくて暗い時分から釣りをしていた。





「こんな朝早くからどうしたのだ?」





気配に気づいて、自ら声をかけた。
偽りの笑顔をつけたまま、足音の主と対峙する。
逢いたくて、逢いたくない。
素顔のままでは逢えなくなった君は、狐目の笑顔を見て、切なげに笑った。







〜無に導きたかった気持ち〜







「…ちょっと目が覚めたって言うか。」

「そんな薄着で来たら風邪引くのだ。」


言うなり冷たい草の上に腰を下ろす。
朝露に濡れる草は、春とはいえ早朝の時刻にはかなり冷たい。
オイラはもう慣れたものだけど、きっとちゃんは驚いたはずだ。

小刻みに身震いをする音が聞こえて、ないよりはマシかとマント(のような風呂敷)を手渡す。
触れた手が冷たかったところをみると、その気遣いは正解だったようで。
ちらりと見えた顔は、困惑気ではあったが拒否には見えなかった。


「…井宿は?寒くないの?」

「オイラは鍛えてるから大丈夫なのだ。」

「じゃぁ私も大丈夫。」

「風邪引かないうちに戻るのだ、ちゃん。」

「平気だよ。」

「心配なのだ。」

「…限界になったら帰るから。」


つき返されそうになったマントをもう1度握らせて。
半ば諦め気味に溜息をつくと、ちゃんは少しだけ微笑んだ。





「…分かった。」





オイラが断れないのを知っていたのかもしれない。
隣に座るちゃんの頭を一撫ですると、オイラはもう1度、釣りに集中する。
途端、当然だけれど静まり返る風景。
微かに聞こえる息遣い以外は…いや、それももう聞こえてはこない。










心を無にして。浄化する。

不純な想いも、苛立ちや怒りも。

心を無にして、釣りをすることで、いつも消し去ってきた。

オイラには。そうすることしか出来なかったから。

昔も、今も。

変わることなく。










「釣れるの、ここ。」

「さぁ。」

「…朝は魚釣りには適してるんだっけ。」

「……………釣れなくても良いのだ。」

「…どうして?」

「釣りは…オイラを無に導いてくれる…それだけで良い。」

「…無、に?」

「そう。」


遠くで聞こえるちゃんの声に、本能的に言葉を紡いだ。
心を無にすることを、己自身が全力で拒んでいる。
優しいちゃんの声に、答えたいと。
その瞳に、オイラを映して欲しいと。



…本当は、オイラだけの……………………。



それでも、それが言えないのは。
それが禁句だと知っているから。


「…邪魔してる?」

「………少し。」

「ごめん。」

「………え!?」


己の欲望と戦いながら、言葉を捜していたつもりが。
…謝らせてしまった。
悲しそうな声に、一気に現実世界まで引き戻される。





先程までオイラの横に座っていたちゃんは、今はもう立ち上がって。





「私、部屋戻るね。」

ちゃん。」

「邪魔してごめんね。」





少しだけ早足で宮廷内に戻っていく。





「待って。」

「でも。」





呼びかけても。
ちゃんは速度を落とさない。
終いには早足から駆け足に変わっていく。





ちゃん。」
「……………。」





呼びかけても返事も返ってこない。
遠く離れていく影が悲しくて。
釣りの道具も、無の心も置いて、後を追った。















後先なんて、考えずに。















「…ちゃんッ…!」


急いで距離を詰めると、その腕を掴む。
反射的に振り向いたちゃんの目には、動揺の色が浮かんでいた。
…それでも、ちゃんがオイラの手を振り解かなかったのは、ちゃんが優しいからだと思う。
オイラはその優しさに漬け込んで、ゆっくりともう片方の腕も掴んだ。


「……………な、に?」

「オイラ…は…僧なのだ。」

「知ってるよ。」

「昔のことも…未だに引き摺ってる。」

「………それで?」

「……………。」

「……………?」





何を言いたいのかは、自分の中で分かっていた。
………言えない事位、自分自身で知っていた。
この先が続けられないのだと。



だから。



この距離が、自分自身で作ったこの心が。
苦しい。





「だから、その………釣りを、してるのだ。」

「心を、無、にする、ため…?」

「そう。」

「うん。」


いっその事、ちゃんが逃げ出してくれればいい。
そう思って面を取った。
術を解く。
偽りの仮面はそのままひらりと剥がれ落ちた。
冷たい風が、2人の間を抜けていく。
風に流された面は、ふわり、音も立てずに落ちていった。





「心を無にすれば、汚れた心も一緒に消えると思って。」





どう伝えて良いか分からない。





「…でも、私が邪魔をした…?」

「違うのだ。」





否定しか出来ない。





「さっきと、…言ってることが違う。」

ちゃん。」





ちゃんの悲しい顔は見たくないのに。

悲しませる事はしたくないのに。

それしか。



出来るはずなのに。
心を無にすれば。
今までのように。










この気持ちを秘めることが出来たのに。










「…今。オイラはちゃんへの気持ちを…無にしたかった…ッ!」





それでも。
追わなければ良かっただなんて。





「………ぇ?」

「いけない事だと分かってる。それでも。」





一時でも、思えない。
多分もう2度と、耐え切れない。
本当は凄く伝えたかった。

けれど、理性が止めていた。















この気持ちを、無に返せる筈がないのに………ッ!















ちゃんが、好きなのだ。」


耐え切れなくて、強引にちゃんを引き寄せる。
今まで触れていたように優しくなんて出来ない。
ちゃんが今、此処に居ることを確かめるように、きつく。
きつくきつく、抱きしめた。


ちゃんの肩が、抱きしめた瞬間大きく揺れた。
それが、拒否の信号だとしても。
今はこの腕の中にちゃんが居ることだけが嬉しくて。
触れていたくて、オイラの気持ちを分かって欲しくて。
自己満足のためだけに力を込めた。



きっとこれで。
もう迷わなくて済むと。
自分に言い聞かせながら。

指先に掠める感触や。
鼻先に香る髪の匂いを。
忘れるものかと誓いながら、ゆっくりとオイラは身を離した。



風に流された面をもう1度顔に張りつける。





「忘れてくれて構わない。…聞いてくれて、嬉しかった。」


狐目で、告げる。
悲しくても、笑うことが出来るから。
泣いていても、それを悟らせないように出来るから。





言いたいことは言い終わって。
それ以上は望めないことを知っていて。
今までは必死で無心になろうとしていたはずなのに。
吐き出してしまえば、何だ、こんなことかと。
すっきりした。…気がする。





「井宿。」

「さ、…これ以上冷えないうちに戻るのだ。ちゃん。」

「井宿。」

「……………早く。」


ゆっくりとちゃんを送り出す。
…いや、押し戻すと言ったほうが良かったのかもしれない。
…なのに。
オイラの気持ちを知ってもなお。
ちゃんはそれを拒んだ。


「私にも、………釣り、教えて?」

「風邪、引くのだ。」


オイラの顔を覗き込むように言われた言葉を、正攻法で突き放す。
…幾らなんでも、暫くは傍に居る訳にはいかないと思って。
今回ばかりは、幾らちゃんの願いでも聞けないと言い聞かせて。





背を向けたのが遅すぎたんだろうか。

未練たらしく、ちゃんを見すぎたのだろうか。

出るはずの足は、ちゃん自身によって踏み出せないままで居る。

…緩く握られただけのオイラの服。

触れるわけでもない。

簡単に解けるような些細な力。

それでも、オイラが動けないのは。





「井宿が居る、から。平気だよ。」





ちゃんがそう言ってくれたからだと思いたい。





…自惚れても、良いのだろうか。
傍に居て、良いのだろうか。










込み上げる想いを、無に、しなくても。

良いのだろうか。










「………ちゃん。」

「…井宿。」

「………。」

「傍に、居てね。」


振り返ると、顔を真っ赤にして俯いているちゃんが目に入った。
縮こまって、肩を震わすちゃんが。















「………ちゃんが、望むなら。」


悩んだ末、それだけを言葉にすると、やっとちゃんは顔を上げてくれて。
浮かんだ涙を優しく掬い取れば、少しだけ微笑んで。
オイラの顔に触れると、面を取るようにとせがんだ。

怪我に気後れする訳でもなく。ただそれにそっと触れて。
ちゃんはありがとう、と笑った。















座ったオイラの脚の間に、ちゃんは今日も座る。
今日もまた、一緒に釣りをしている。
笑いあいながら。





無に出来なくて、良かった。

オイラの、………本当の気持ち。







***あとがきという名の1人反省会***
だから、私何がしたいの…orz
コレ、初期設定では「井宿と一緒に釣りをする」でした。
そのときは主人公視点でした。(某CM見てて思いつきました。
なのに何だコレ。話全然ちゃいまんがな!(ビシッ←ツッコミ
…誰か計画性と文才を下さい。
毎回駄文書いて申し訳ないです。

それでは、ここまで読んでいただき有難うございましたなのだ(泣

2005.11.14 水上 空