人間は不完全な生き物だから。
誰にだって苦手なものはあると思う。


私だって人間なんだから、やっぱり嫌いなものはある訳で。

私の嫌いなものは、もうすぐ鳴り響く訳で。

少しでもましなように、一直線に家に向かって走り出した。







〜カミナリ〜







「…はぁっ……何とか…間に合った……。」


玄関の鍵を開けると、少女、は素早くドアを閉めた。
そのまま力なく腰を落とす。
雨の中の全力疾走によって、荒い息を繰り返す。
背中に張り付いたシャツが、新たに染みの領土を広げていく。
次第に落ち着いてきた呼吸を、大きな深呼吸で押さえつけて、は腰を上げた。


「ただいまー…お母さーん?」


少し乱雑に靴を脱ぎ捨てて、母の居るであろう、リビングに足を伸ばした。
持っていたタオルで、噴出す汗を拭きながら、声を掛ける。
リビングを探しても、母は見つからない。
茶色基調のテーブルには、書置きが置いてある。



一言だけ。急な仕事で夜は帰らない、と。



「ってか…何で居ないのー…。」


手に取った書置きをくしゃくしゃに丸めてゴミ箱に投げつけた。
丸まった書置きは、綺麗なカーブを描いて…床に落ちる。
慌てて拾い上げると、空を黄金色の光が埋め尽くした。
後から響く轟音が、家の中に反響する。
叫んだの声すらもかき消すような轟音は、身体にビリビリと浸み込んでいった。


「1人じゃ、怖いよ……。」





電気をつけなかったために広がった、暗がりの部屋。
暗闇と恐怖で、先が見えない。
身体を抱きしめるように支えてみては、荒い息を繰り返す。
小さく丸めた身体は、先ほどの書置きのようで。
ゴミ箱の中にでも捨ててしまいたいと思った。
誰にも目に付かないところで、恐怖心だけを塵に紛れさせて。
消えてしまいたいと思った。
先ほどより遠くで光ったカミナリが、頬を伝った雫を浮かび上がらせる。















「降ってきたな…。」


部屋の窓から、空を覗いて呟いた。
暗雲の垂れ込める空は、見ていて気持ち良いものではない。
カーテンを元の位置に戻すと、再び部屋へと舞い戻る。
振り向くと、今まで共に課題を解いていた友は帰り支度を始めていた。


「…そだな。…俺傘ないし、帰るわ。」

「…傘貸そうか?」


身を案じてかけた言葉は、もう1人の少年にあっけなく否定された。
にっこり笑った顔には、多少の焦りも見えた。


「いや、いいよ。走って帰るし、余計邪魔だって。」

「そうか。風邪引くなよ、虚宿。」

「おう。また明日な、斗宿。」


それだけ言うと、一目散に駆け下りるように階段を下っていく。
ゆっくりと視線を外に向けると、既に虚宿は通りを駆けていた。















「キャアアァァァ!!」


幾度目かの悲鳴がリビングで木霊する。
濡れた制服が気持ち悪くて、ありったけの勇気をかき集めて、何とか着替えだけは済ませた。
最低限しなければいけないことを終えて、その後はずっとこの調子だ。

閃光のように煌く光を、薄い掛け布団で遮って。
鳴り響く轟音を遠ざけようと、枕で頭を覆ってみた。
それでも大した効果が得られなくて、リビングでテレビをつけて、気を紛らわせている。


「も…ほんとカミナリ嫌い……怖い……。」


小さく丸まった身体を震わせていた。
ギュッと目を瞑ってみても、カミナリの光は消えない。
むしろ、鮮明に見える気がした。
涙の筋が、頬をつたう。
幾本も付いたそれは、数を増すばかりで、消えることはなかった。
カミナリが鳴る。鳴り響く。
涙が頬をつたう。つたい続ける。
リビングの蛍光灯が、冷たくに光を降らせる。



…助けてくれる人は居ない、……………独りぼっちだ。





強風のためか…。突如、玄関のドアが開いた。
その時を見計らっていたかのように鳴ったカミナリが、家に轟音を連れてきた。
脚が竦んで、動けない。





怖い。

こわい。

コワイコワイコワイ…。

助けて……………ッ!!





「おい、!平気か!?」


上から降ってきた声は、聞きなじんだ声だった。
ゆっくりと顔を上げると、見知った顔がそこにある。
汗と雨に髪を濡らして、息を荒げて駆けつけてくれた。
ちょっと怒りっぽいけれど、本当は面倒見のいい…大切な幼馴染が。


「…虚宿?」

「他に誰に見えるんだよ。ってかやっぱりへたり込みやがって………平気か?」


恐る恐る、口に出した言葉には返答があった。確かに。
気遣わしげな声。私を覗き込む、優しい瞳も。
視線を合わせるために腰を落とした虚宿に、何の躊躇いもなく抱きついた。


「虚宿ぇ!!」

「わっ!馬鹿!俺濡れてンだから、お前も濡れンだろ!?」


わたわたと慌てる虚宿を無視して、そのまましがみ付く。


「…怖かったよぉ…こわ…ったよぉ…!!」



「……………分かったから、泣くなよ…。」





虚宿は無理に引き離そうとはしなかった。
泣きじゃくる私を思ったより優しく腕に閉じ込める。
頭を軽く撫でる手が暖かくて、素直に甘えられた。
冷たく濡れた虚宿の制服が、身体を冷やす。
折角着替えた服が濡れるのも気にしないで、虚宿に身体を預ける。
心配して駆けて来てくれたことが、本当に、本当に嬉しかった。



涙は、もう流れないよ。ありがとう。





そう思った矢先、またしても轟音が鳴った。
今までの中でも大きいそれは、警戒を解いた私に、更なる恐怖を連れてくる。


「キャアアァァァ!!」

「だー!!叫ぶなよ、耳元でぇ!!」

「だって怖いよー!!カミナリ嫌いだもん、しょうがないじゃん!!」


抱きついたまま腕の中にいるから、虚宿の表情は見えない。
張り上げられた声は、言葉と違って本気で怒ってはいないみたいだ。
頭を撫でる手が、優しい。





「……………俺の声聞けよ。ちゃんと聞け。したら平気だ。」





照れた声で、一言だけ、虚宿は言った。
いつの間にか背中にも回された腕が私を引き寄せる。
制服越しに、虚宿の心臓の音が聞こえる。
暖かい音だった。


「俺の声だけ、聞いてろ、。」

「………うん。」



髪を緩く梳いていく。



「俺、ちゃんと来てやっただろ?」

「………うん。」



優しく身体を包まれて。



「心配で走ってきてやったんだから、感謝しとけ。」

「…ありがとう。」

「おう。」


聞こえる心臓の音が心地良い。
照れた声も、多分真っ赤な顔も。
私をゆっくりと安心感で満たしてくれる。
1人じゃないよ、そう言ってくれてるみたいだった。










どうやら私が安心している間に、カミナリは遠くへ行ったようだ。
冷静になってみると、抱き合ったままの格好が妙に気恥ずかしい。
ゆっくり身体を離そうとして、虚宿の腕にやんわりと阻まれる。
瞬間、空がまた明るく閃いた。


「…ンだよ…まだ怖いのかよ?」

「ちょっと…ね…。ほら、条件反射?」


虚宿の制服の端を握り締めながら答えると、虚宿は溜息を吐いた。


「………つってもなぁ…様は頭で考えるからいけねーんだろ?」

「…そうだけど…。」





指先の震えは、私にはどうしようもなかった。
私に触れる虚宿の制服は生乾きで、触れるたび、泣きたくなる。
迷惑をかけて、溜息まで吐かせてしまった。
迷惑がっても不思議でないはずなのに、虚宿が優しいから。
泣きたくて、泣けなくて。
カミナリに対する恐怖と混ざって、………震えが止まらなかった。





。上向け。」





何かを思いついたのか、それとも何かを決心したのか。
虚宿は一言、凛とした声音で告げた。
それでも止まらず顎に手を掛け、強引に上を向かせる。
…顔が近い。それは虚宿が思っていたよりもずっと近かった。
そのまま距離を一気に詰めていく。







「ぅん……ッ!?」







ゆっくりと2人の影が重なる。
言葉は紡ぐ前に吸い込まれていった。
瞬間。遥か空の遠くで、カミナリが鳴った。


…今、怖かったか?」

「…何今の。」

「…カミナリ、鳴ってたぜ?」


虚宿の顔が近い。…どうして?
頭がついてこなかった。
いや、回らなかったと言うのが正しいかもしれない。
それに…それより…カミナリ…?
でもそうじゃなくて、今考えるところはそうじゃなくて。


「……気付かなかった……けど。」

「なら、良い。」

「だから。何、今の。」


さっき虚宿に顎を優しく捉えられた。
強引に上を向いて…。
それから?
…顔が近くなって、…唇が…熱くて…?


「キス。」

「何で。」





……………今も、感触が残って……………。





「俺しか見えなきゃ、カミナリなんて怖くねーじゃん。」


自覚した途端、顔が熱くなる。
鼓動が早い。言葉をどう繋いで良いかわからない。
それより。虚宿が。いや、虚宿も。


「…虚宿、顔赤いよ…?」

「…ンだよ、わ…悪ぃーかよ……?」


軽く小突かれて、そのまま胸に押し付けられる。
顔が見えない代わりに伝わる鼓動が、とても早かった。
それを追うように、私の鼓動も早まっていく。
追いかけて追いついた鼓動は、いつしか並んでいた。


「ううん…嬉しい。」

「さ…最初っからそうやって言っとけばいーんだよ、は…。」

「はは、虚宿、真っ赤っかー。」

「……るせーよ、。」


虚宿に小突かれながらも、笑い続けた。
笑いが静まる頃には、空も晴れていた。
通り雨が連れてきたカミナリは、もう既にそこにはない。
あるのは、幸せそうにじゃれあう2人の姿だけだった。















「…好きだからな、…は黙って俺に護られとけばいーんだよッ!」

「………しょうがないから護られてあげる…ッ!」





不意に言われた一言に、はしっかりと答えた。
2人はもう抱き合ってはいなかった。
それでも、………2人の影はしっかりと重なっていた。







***あとがきという名の1人反省会***
あー…死ぬかと思った。何でこんなクソ甘いのが書けたんだ?
…と、何だか口調が可笑しくなっちゃいました。
初ふしぎ遊戯です。虚宿は大好きです。
甘いのはさておき。
これは本当はもうちょっとはやく書く予定でした。
だって夏も終わりですもん。立秋来ちゃいましたもん。
カミナリは大嫌いなので、こんなものも書いたんですけれどもが。
夏のうちに書かないと、結構無理があるだろうと思っていたのに…ッ!
お届けが遅くなって申し訳ありません。
まだまだ未熟な私ですが、これからも頑張って生きたいと思います。(ぇ
…腐女子ですがまだまだ生きます。(もういいよ

それでは、ここまで読んでいただきありがとうございました!!

2005.9.3 水上 空