夕暮れが辺りを朱に染め上げる。
染め上げられた村には人の気配はない。
皆が皆、息を潜めて生活しているのだ。

静まり返った村を隅々まで見渡せる、小高い山。
2人はそこで村を見ていた。


「明日ね、疎開の日。」

「もう此処も…敵の手が迫っている。仕方のない事也。」


東の地平線辺りに、黒い煙が上がっている。
何日も、何日も。煙は途絶えることがない。

どこかで、燃えているのだ。



街が、村が。…人が。





「それは…そうだけど。何か、少し悲しいじゃない。」

「死ぬよりは生きていた方がいいであろう。」


ここ数日は、頭上を通過する爆撃機が轟音を立てる機会が多くなった。
もうすぐ此処も狙われるのだろう。

戦場と化した場所ではないのに、爆弾が投下される日々。
関係がないはずなのに、巻き込まれていく人々。

…自分の守りたいものが、崩れていく日々。
死んでいく、大好きな人。


2人の村にも、その日は刻々と近づいていた。


「そうね。…私も、尊が居れば悲しくないし。」


ゆっくりと。近づくそれは。
誰もを飲み込んでいく。


「…もう、と共に歩むことはできぬ。」


尊の言葉に、は凍りついたように固まった。
暮れゆく空を、1つ、また1つ。爆撃機が飛んでいく。
空襲警報が、遠く鳴り響く。
耳鳴りにも似た轟音が耳を貫いていく。
…通り過ぎていった。大丈夫。


「……どういう、こと?」


視線を戻すと、もう1度尊は口を開いた。
真剣な、真剣すぎる瞳で。


「別れたいと言った也。」

「…ねぇ。何の冗談なの…?」


言われたことに理解が出来なかった。
ちがう、理解したくなかった。
開かれた尊の眼は、否定しても仕方ないことを言っている。
それでも、信じたくなかった。





「我は、冗談は好かぬ。真也。」





…冗談が嫌いなんて、言わないでいいよ。

そんなの、とうに知ってる。

幼馴染でしょ。

私が、1番分かってる。





絶対。







〜冷たい涙は、もういらない〜







伝った涙が、やはり紅く染められていく。
尊は眉を顰めて背を向けた。
一瞬見えた表情は、辛そうというよりは。
眼は、冷たく開かれていて。


「さっさと、我の前から消えてはくれぬか…殿。」


私を視界から外して、掃除を始める。


「掃除の邪魔也。」


涙でぼやけたけれど。
尊の表情は、苦虫を噛み潰したように。
きつく、歪んでいた。
苦しみに耐えるかのように。






その後、何かを口にしたはずだが、思い出せなかった。
ただ、言葉にならない言葉を連ねて。
子供のように泣き叫んだような気がする。

尊は、振り返ろうとはしなかった。
規則的に木の葉を掃く音が聞こえる。





今は戦争中で、贅沢も、平穏な日もないけれど。

たった一つだけ、どうしても守りたいことがあった。

兵隊さんじゃないし、私は女だから何も出来ることはないけれど。

たった一つだけ、お国のために捨てたくない夢があった。



今となっては叶わない夢は、本当に本当に眩しくて。

一生分の涙が流れても、消えてはくれない。

生暖かい風が吹いているはずなのに。

涙は、どうしてこんなにも、冷たいんだろう。















…尊が、私の全てだった。















一通り境内を掃き終えて、本堂に戻った頃には既に日は地平線の下に隠れていた。
溜まった木の葉を1箇所に集めて置いておく。
燃やすことは出来ない。
火は煙を生み、煙は敵を呼び寄せる。

折角掃除した境内に木の葉が飛び散らないように、木の葉の山に囲いをかける。
ここまでして掃除は終わりだ。


後は、唯只管、隠れて生き延びるのみ。





物音1つ立てずに廊下を歩いていく。
その影は静かに寝室に吸い込まれる。
…が、戸口付近で影はばったりと倒れた。


「く…ぅッ…。」


身の奥から響く不快極まりない痛みが、全身を駆け抜けていく。
食いしばった歯の隙間から、耐え切れずに呻きが漏れる。
身体が震える。力が抜けない。
張り裂けそうな痛みと、呼吸が出来ない苦しみに、尊は必死で耐え続けた。


「尊!」


言葉と同時にいきなり開いた障子。
額に伝った汗を隠しもせず、叫びを上げる。
不安に溺れた顔つきは、月明かりに出来る影に隠されて尊からは見えなかった。
声だけで人物を認識して、やっとで口を開く。


「来るなと…言ったのが分からぬのか…?殿…。」

「誰がご飯作ってるか分かってて、そういう事言うの?」

「我は1人でやっていける。さぁ、我の前から…グ…ゥ…ッ!!」


言葉を紡げたのは奇跡に近かった。
鮮血が口から漏れ、畳を汚した。
尊はまた、崩れ落ちる。


…今度は抱きとめる腕がある。
力なく倒れこんだ尊に痣が増えることはなかった。










「…肺病………掛かってたの?」

「……否。我は、その…ようなものに……ッ……侵されては、おらん。」

「じゃぁ、その血は…何よ?」

「何でもない。即刻出て行くが良い、殿。」


頑として、尊は口を割ろうとはしなかった。
の腕を払いのけ、ふらつきながらも起き上がる。
口元から血を拭うと、その手で開かれたままになっていた障子をより大きく開け放つ。



即刻、出て行け。



言葉以上に態度が、そう告げていた。
態度以上に、………射るような目線が。


「どうして、傍に居てはいけないの?」

「出て行くが良い!!即刻!即刻出て行くのだ!」


力の限り、その言葉が1番合うような声で、尊は叫んだ。
肩で息を繰り返しながら、それでも強い口調を保つ。
噛みあわない会話に、は視線を落とした。
尊の視線から逃れるように。


「…私のことが、嫌いになったの?」

「……………。」


尊は答えなかった。
ただ、溜息を1つ吐いただけだった。
確かな言葉が欲しくて、はもう1度問いかける。
確かな言葉が、たとえどんな結末を呼ぼうとも。拒絶の言葉であっても。
何かに挑むかのように、は尊と視線を交える。


「私が居ては、迷惑なの?」

「………出て行くが良い、。」

「嫌。」

「出て行くのだ、。」

「嫌よ。」

「何故、そのような我侭を申すのだ…。後生だ、…出て行け。」

「嫌だって言ってるじゃない!」


何度も繰り返される言葉に、は遂に痺れを切らした。
立ち上がり、尊の襟元に掴み掛かる。
尊は、硬い表情のままだった。





「嫌いになったなら、言葉に出して言えば良いじゃない!
私が目障りなら、そう言えば良いじゃない!」

「……………。」

「私は!尊と、一緒に、生きたいの!」





の顔が、尊の胸元に埋まる。
着物を掴む手が、震えている。
…尊は、反射的に回しかけた手に気付いて、…そのまま手を下ろした。


「…明日は疎開の日であろう。支度をしに、帰るが良い。」

「尊が居なくちゃ、生きていても意味がないの!」





幾度目かの悲痛の叫び。
顔を上げない
濡れていく着物に、尊はやっとで気付いた。





「離れたくないの!…尊の傍に居たいの!」

「…すまぬ…。泣くな、…。」





先刻回しかけて止まった手を、今度は躊躇いなく回した。
の服に血が付くのも構わず、優しく包み込む。










「…我が、悪かった…。」















の言うとおり…我は、肺病に侵されている…故に疎開には付いていけぬ。」

「…そう…。」


尊は、ようやく本心を語りだした。
隠し通したかった真実を、ゆっくり、ゆっくり。
の顔を見ながら。瞳を逸らさずに語りだす。
もそれをきちんと受け止めていた。


だけは、逃がしたかった。」

「……………。」

「我が、我だけのためにの命を…軽々しく、絶ちたくはなかった。」

「…馬鹿ね。」

「すまぬ。」

「馬鹿よ、尊。」

「…すまぬ。」


深々と頭を垂れ、謝る尊。
その手に、は優しく触れる。
伝わる暖かさに尊が頭を上げると、は微笑んでいた。


「言ったでしょう?…私は、尊と一緒に生きたいの。」

「…本当に、それで良いのだな?」


笑顔はほんの少しの涙で、輝いていた。
尊は問う。
涙は、悲しみの涙ではないのだな、と。










「良いに決まってるでしょう?」










だって、冷たい涙は、もういらないから。
貴方と居ることが出来れば。そんなものはもう必要ないから。


二人して、微笑んだ。
重ねた手が、自然に背中に回る。















刹那。

ゴゴゴゴゴ…ッ!地響きが辺りを包んだ。





「「!?」」





空襲警報も鳴り響いている。





「近いな………。」

「明日じゃ、結局間に合わなかったみたいね。」





もう、助からないだろう。





「手を離すな。我がついている。」

「…離すわけないわ。尊とずっと一緒に居たいもの。」





ここで、皆。





「あぁ。我もと居たい。」

「…本当?」

「…あぁ………生まれ変わっても、と共に居たい。」





戦火に焼かれて死ぬのだ。





「ありがとう、尊。愛してるわ。」

「…我も、を……あ……」










死は怖くない。

貴方を失うのが怖い。

でももう1人じゃない。大丈夫。

最愛の人と共に、逝こう。















轟音と、火の海が、辺りを包んだ。
その日、村1つが完璧に消し飛んだ。




















夕暮れ。

その日の寺は、夕焼けに赤く染め上げられた。
境内を掃除していると、1つ。小柄な影が伸びてくる。
尊は掃除を中断して振り返ると、その人物を迎えた。


。」

「料理作りに来たよー。」

「…いつもすまない。」

「いいよ、日課だしね。」

「うむ…。」


買出し袋を手に下げ、楽しそうに微笑むに、尊も微笑み返す。
その、尊の顔が、不意に翳った。
目が潤む。1滴、涙が頬を伝う。
それを捉えたが、足りない身長分背伸びをしながら顔を覗きこむ。


「尊ー?どうしたの?」

「…いや、…何でもない也。」

「何でもあるナリ!尊が泣くなんておかしいもん。」

「………いや、あの時言えなくてすまなかった。」

「あの時?」


尊の言葉に、は首をひねる。


「…分からずとも良い。…我は…」

「尊?」

「我は、を愛している。」


照れながら、柄にもない言葉を尊は言い切った。
優しく、それでいて、心底申し訳なさそうに。


「待たせて、すまぬ。」

「…本当に…馬鹿ね、尊…。」

「「え?」」


何故か、2人ともが、聞き返した。
言わなければいけない言葉をやっとで言った気がした。
…内容は、何かとても大切だったはず。
それを、2人共が綺麗さっぱり忘れていた。


「…私、今何言って…あれ?」

「…良いのだ。…夜風は冷える…入ろう。」

「………うん。」

「暖かいな、。」

「うん、……もう、大丈夫だから。」







冷たい涙は、もういらない。

これから流すのは全て、暖かい涙であるように。





時を経ても、ずっと一緒に居るから。







***あとがきという名の1人反省会***
桜海 若葉様の、「ミスフルパラレル夢祭り」。
敬愛する若葉様の所に書かせて頂けて、私は幸せです。
パラレルは苦手分野です。でも書いちゃいました。

今回舞台は戦時中です。
昭和の似合う方…という事で、初書きとなる蛇神様を書いてみました。
シリアスめ、最後ハッピーエンドです。
楽しんでいただけたでしょうか?
初っ端からヒロイン振られてて、でもそれには訳があって…。
肺病が伝染らないようにとか、安全な場所に逃がしたいとか、
色々な思いが渦巻いて傷つけたり…死ぬまで言えない事があったり。
思いやって、愛し合って…生きてゆきたい。
そんなことを詰め込んでみました。(分かりにくい説明だな

それでは、ここまで読んでいただきありがとうございました。

2005.10.9 水上 空