私がうたかた荘に通うようになってから、どれだけの時間が経っただろう。

確か、そんなに長く通っている訳ではないはず。

高校にも慣れて、ひめのんと仲良くなって。





「ガク。」

「なんだい、りんv」

「この問題教えてくれる?」





そうだ。
私は今よりずっと数学が苦手で。





「そんな事よりオレはりんと愛を語らいたい。」

「あたし、本当に困ってるんだけど…。」

「教えよう。他の誰でもなくこのオレが!」





ガクに数学を教わるために。
本当にそれだけのために通い始めたんだった。
時間はそんなに経ってない。
ほんの1、2ヶ月。





「有難う、ガク。やっぱり頼りになるね。」

「ツキタケ!りんがオレのことを頼りにしてくれてるんだってー!」

「あー、…はいはい。」







そんな、短い時間だったのに。







〜「馬鹿だねって言って」〜







今日も私は数式とにらめっこ。
隣ではガクが楽しそうに私を見ていて。
顔を顰めている私に、可愛いだの、何だの呟いてみたり。



抜群に数学が得意なガクを無料で家庭教師に雇ってみたけれど。
(というより、進んで申し出てきたんだけど。)


「これで合ってるかな?」

「うん。合ってる合ってる。だから挙式の日取りを決めよう、りんv」


ガクは私が間違っているなんて一言も言わない。
問題集の答えを確認して溜息を吐くこともしばしば。
ガクにとって、数学の問題集は見えていないらしい。



ぶっ飛び思想は初めて会ったときから変わってないし。

私のことを陰気な顔を染めて凝視するし。

結局は、家庭教師として働いてくれることは少ない。





「………間違ってたらまともに話す時間も短くなるからね。」


ちらり、視線をガクに向ける。
こっちが怒っていても、ガクは一向に気にも留めず。
りんのウエディングドレスは…とか、やっぱりぶっ飛んでいて。
泣きそうになりながら溜息を付くと、慌てて私の回答を見直して指を指す。


「此処と此処の計算を見直したほうが良くなる。」

「…これ?」

「そう、オレの愛するりんの細く白い指が指す所。」


ふわり、ガクの顔が私に近づく。
確認のために顔を上げれば、間近に映るガクの瞳。



前髪の向こう。

フッと、見開かれていた瞳が和む。





問題に視線を戻すと、私の指とガクの指が重なっていた。

私の爪の位置に、ガクの指が。





突き抜けて、私の間違った問題を指していた。





素早く指をどけると、問題を解きなおす。
簡単な計算問題はすぐに解けた。
さっき先に確認した答えは、暗記している。





合ってる。



やっぱり、ガクは凄い。



けれど。

これ以上は、解らなかった。















「…良くわかんない。」


ポツリ。

呟いただけの声はきっちりとガクに拾われた。
私の顔と問題と、交互に見やって不思議そうに首を傾げる。


「問題が?…今度は本当に合ってる。やっぱり俺のスウィートりんは最高に物分りが良い。」


答えが合っているのを確認して、ガクは誇らしげに笑う。
無垢な笑顔が向けられているのを知っていて。
私は、顔を上げることができなかった。





「違う、ガクが。」

「何故。」





シャープペンシルを机に置いて、問題集を閉じる。

無意識に閉じた問題集は、結構な音を立てて。

ガクは、一言完結に聞いただけで。



私もすぐには、次の言葉を繋げられなかった。










「あたしも勉強教えて貰ったり…甘えてるけど、さ。」

「どんどん甘えてくれ。」


嬉しそうに、ガクは答える。
どうしていいか解らないまま。
答えは見つからないまま。







顔を上げると、微笑んだガクに目が留まって。

逸らせなくて。

感極まって、泣いてしまった。















「どうして、私に好きだなんて言うの。」





、りん?」





オロオロと、ガクが本気で困っているのを知りながら。
泣き止む術を見つけることも出来ずに。




「…そんな、顔色1つ変えずに、さ。愛する…とか、好きなんて言わないで。」





潤んだままの顔を上げて、ガクを見る。
目の前にはガクの服が見えるだけで、顔は見えなかった。
頭の上から、ガクの声が聞こえる。















「迷惑………か?」



苦しそうに、喉の奥から絞り出したような声。



「違う…けど。」



触れることの無い抱擁を、私に捧げて。



私が動けば、突き抜けることを知っていてもなお。



ガクは、それを止める事は無い。



「オレは。」


ガクの流す涙も、私を突き抜けていくのに。

触れられないと自覚すればするだけ。

切なさが増すことを、ガクは知っているはずなのに。



「ただ、自分の心に正直で居たいだけだ。」



ガクはただ、私の身体を優しく包みながら。

私のことを最優先に考えてくれている。



「愛する人に嘘は言いたくない。だから。」



動けずに固まっていた私を、腕から解放すると。
私の手の上に、突き抜けない程度に自らの手を重ねて。

少し、包み込むように上に上げかけたので、私も合わせて手を上げる。
心臓に程近い位置まで、ゆっくりと、相手に合わせて。















「疑わないでくれ。本当に、りんのことを愛してる。」





ここ数ヶ月で聞きなれた愛の言葉。





「馬鹿、ガク。」

りんに馬鹿と言われても…苦にならない。」





生や死を乗り越えて、触れられないと知っていて。

それでも愛を囁いてくれるガク。

私が歳をとっていっても。そのままの姿で。

共に過ごすことは、出来るようで出来ないのに。



それでもなお。

真摯な瞳を、無償の愛を。

ガクは、私に向けてくれていた。





1つ、溜息を吐き出して。
やっとで、私は微笑む。


「ねぇ。」

「なんだい、りん。」

「あたしが望めば。何でもしてくれる?」

「約束しよう。りんの望みはこのオレが全て叶えると。」


胸を張って宣言するガクに、声を上げて笑う。










「馬鹿だね、って。あたしに言ってよ、ガク。」

「……………りんが馬鹿な訳は無い。オレが保証する。」

「望み叶えてくれるんでしょ?」

「理由も解らないのに愛しいりんにそんなことは言えない。」


真剣な顔で、キッパリと答えるガク。
私から距離を詰めて、その広く細い胸の位置に寄りかかるふりをする。
急に固まったガクの指に、私の指を絡める。



感覚は無い。



「触れることも出来ない人を、好きになった、馬鹿女って。」

「……………相手、は。」

「ガク。」

「…なら、オレも馬鹿だ。」





触れることの無い抱擁は、とても甘かった。

交わした口付けは、ふんわり、優しかった。



















それから暫く経って。


「………りん。」

「うん?」


呟かれた言葉に顔を上げると、ガクは素早く立ち上がった。
手には愛用のピコピコハンマーではなく。





………それより格段に破壊力のある大木槌。





「明神の馬鹿から、黄布奪ってこよう。」

「え、ちょっとガク!?」

「そうすれば2人で触れ合うことも可能だ!!」


死ぬほど本気と言うのは、表現的にはおかしいけれど(だって霊だし)
行動からしてきっと本当に数秒後には突撃すると思う。


「………馬鹿ガク。」

「さぁ!愛の障害を排除しよう、りんッ!」







明神さんに迷惑が掛かることはしたくないんだけど。
ガクに…好きな、人(で良いのかな)に触れたいのは事実だし。
差し出された手を辿って、ガクの顔を見たら。



何だか断れなくなってしまったのも事実。



馬鹿だね、ってひめのんは言うかな。
それとも………祝福してくれるかな。





それでも、走り出してしまった気持ちは。
止めることなんて出来なさそうだけど。










追伸:明神さん、出来れば抵抗せずに黄布分けてください。







***あとがきという名の1人反省会***
ガクリンラブv今の私はそれに尽きます。
「無償の愛」を捧げて欲しかったんです。ガクに。
純粋で、真っ直ぐで、強くて…愛の障害は即排除。
ガクはそんな人だ。うんうん。
っていうかガクのぶっ飛び思想と言うより、
私のぶっ飛び思想だったりする。(言っちゃった。

書くのは大変だけど(何せ相手に触れないし)
凄く楽しく書きました。お題も消化できて良かった!

それでは、ここまで読んでいただき有難うございました。

2006.02.11 水上 空