図書室の戸を静かに開ければ、本の香りが鼻に届く。
騒がなければ本から目を上げることはない。
そう有名な、六年ろ組の図書委員長。
中在家長次は、今日も図書館に居た。


「よっす。」

「………。」


戸口に立ったまんま、片手を軽く挙げて声をかける。
こちらに目線をつい、と移動させると、長次はまたすぐ視線を本に落とした。
絡んだ視線は、ほんの一瞬。







〜簡単で難しい、〜







そのまま、何もないまま時が流れる。
足音ひとつない、静寂。


私が動かずに居たから。
長次は、如何して入ってこないのかと聞いた。
無論、視線をこっちに投げてよこすことで。





思案気に顰められた眉。
ほんの少し、細められた瞳。





微量な、それでいてはっきりと分かるようになってしまった長次の表情。


それに気づいて、弾かれる様に図書室へと足を踏み入れた。




一歩一歩。

長次の隣まで。










しん、と静まり返った図書室。

腰を下ろす前に見渡せば、やはり他に人は居らず。





「あ、それって新しく入ったって本?」





自分の発した声が、余計に耳に響いた。


「…面白い?」


尋ねれば、長次は口角を少しだけ上げて笑む。
どうやら、この本は当たりみたいだ。
楽しげに文字の羅列を上下する長次の目線を追えば、そのくらい分かる。



「今度私も読みたい。」

「………ん。」

「あ、今じゃなくていいよ。予約なければ長次の次にでも。」




長次が今にも貸そうとするのを、私は慌てて静止させた。
長次の楽しみを奪いたかったわけじゃない。



差し出された本を押して、長次の元へ返す。
長次は、少し残念そうな、難しそうな、そんな目をしてた。
そのまま微動だにしないので、「次に予約、御願いね。」と付け足したら、
納得したのか、もう一度本を開いた。







今日は本を借りに来たわけじゃ、ない。

この本が読みたいと思ったのは、ただ単に。

長次の世界に触れてみたいと思ったから。

その瞳と、同じ世界を見たいと思ったから。





きょうは、ほんをかりにきたわけじゃ、ない。


傍に居れる、理由がほしかったから。


言葉をひとつ、伝えに来た。







息を深く吸い込む。
耳に届く心音が、いっそ耳障りなほど五月蝿い。
本当は、怖い。すごく、怖い。
それでも、口を開いて、伝えたいことがある。

本に向かう、長次の横顔。
真っ直ぐに、言葉を紡ぐ。










「長次ぃ。あのさぁ、………す…」










はずだった。



顔を上げないと思っていた長次が、顔を上げるまでは。










「す…す、………すごく、広いよね、長次のせ、なか!」



しどろもどろの言葉に、長次が眉根を寄せる。
頭を、傾ぐ。
大丈夫か、小さく呟く。


私はそれに、あははと笑うばかりで。
大仰に両手を振り回し、頭を振って。




大切な言葉は、言えなかった。


それより何より、心配したのだろう、触れてきた長次の手が大きくて、優しくて。
それ以外のことなんて考えられなくなってしまったのだから、どうしようもない。





「…何しに来たんだ、。」

「……………なんにも。」

「……………そうか。」



言えるわけないじゃないか。

聞かれたからって、答えられるならとっくに伝えてる。






言えるわけ、ないじゃないか。


すき、とその一言が。

簡単すぎて出てこなかったなんて。

そんな、理由。







朱に染まった頬は、長次が振り向かなかったから、見られることはなかった。



す、き。



たった二文字は簡単すぎて。

長次への思いを表すには、簡単すぎて。




どうしても言えずに、胸の内にひゅう、と甘い風を吹かせていった。







***あとがきという名の一人反省会***
大好きな、キンモクセイのメロディの歌詞より。
テーマは言わずと知れてると思いますが…
「好きとその一言が簡単すぎて出てこないのです」
簡単な言葉だから、使いやすいわけじゃなくて、
簡単な言葉だから、時として難しい…ってことで。

や、多少水上がまともな事言ってる!(自分でもウケる!
それでは、ここまで読んでいただき有難うございました。

2007.02.24 水上 空