トントントン。

ポツッ。


「あ、…降ってきた…。」


自分の扱う鉄鎚の音に混じる、ひとつの音。
鼻にダイレクトヒットしたそれに反応して顔を上げれば。
どんより重い空から、次第に強くなるであろう雨が降り注いでいた。


「ついてない…。」


パン、と軽く衣服を叩けば少しだけ木屑が落ちた。
1番ドックを軽く見回せば、他の職人も作業を切り上げて道具や材料を片付け始めている。
雨の臭いも強いから、今日はもう仕事も上がりだろう。



期日が迫ってるのについてないなぁ。



独り言を零しながら、私も片付けに取り掛かった。
…とはいえ、片付けるものなんてタカが知れている。
目の前にある少量の木材と愛用の鉄鎚、それと釘数本。
鉄鎚と釘は作業ツナギのポケットへ放り込んで、木材は木材置き場へ。
濡れないように木材を持って行けば、やっぱり今日は仕事は終わりと告げられた。







〜ずぶ濡れダンス・ステップ〜







「………あ、そか。」


傘を忘れたんだと思い出して、仕方なく濡れて帰る。
ドック内を抜ける前に散々風邪を引くからやめておけといわれたけれど、
何だか傘を買うお金も勿体無くて、そのまま歩いた。

ついてないときはとことんついてないものなんだよなぁと、
1人愚痴を零してみても、雨は止まないけれど。




張り付いた髪をかきあげたとき、視界の端に映った、風。
グングンと近づいてくる、カク職長。


なんて速いんだろう。


いつの間にか足は止まって、張り付いたツナギも気にならなくなって。
目で追えるギリギリ限界の所で、私はカク職長を追う。
屋根を伝う、壁を渡る、空に舞う。
カク職長を、ずっと。



あ、見失った。




目に雨粒が入ったせいだ。痛い。
少し乱暴に目を擦る。



「何で雨の中にぼんやり立っとるんじゃ?」

「うわぁ!?カカカ…カク職長!いつからそこに!?」



ポン、軽く頭に置かれた手を頼りに振り返ると。
そこに居たのは、見失ったはずの風。

ビックリしすぎて跳ね上がった肩に、逆にカク職長が驚いたようで。
振り返った先のカク職長の目はまん丸だった。



(あ、でもいつもまん丸だけど、それ以上って事で)



「…そんなに驚かんでも。ワシには気付いておったと思ったがの。」

「あ、あの…いや、気付いてたんですけど、でもその見失ってですね…」

「そうじゃの。キョロキョロしすぎじゃったから、後ろに回るのが楽だったわい。」



笑う顔は、太陽のようで。
もう一度、その姿に見惚れていたら今度は。





身体が浮いた。





、しっかり捕まっておくんじゃぞ?」





空を舞った。

街は遠く、空が近い。
風が、とてもとても近くて。
息をするのも忘れそうだった。

ふわりと舞う、カク職長の軽やかなステップワーク。
空を駆けるカク職長は一体どんな世界を見ているのだろう。
いつも夢見ていた、憧れていた世界が、今目の前に広がる。

凄い、凄いを繰り返す私を、カク職長は楽しそうに見て、
たまにはこういう景色を見るのも楽しいじゃろう、と笑った。










「職長、あの、有難うございます、でした。」

「なんのなんの。」


結局、カク職長は私の家の前までそのまま空を駆けた。
家はどこだ、と聞いた割に、ものすごいスピードで駆けた職長。
当然道を間違ったが、素早くステップを踏んで事なきを得た。

家の前に下りた時には2人ともずぶ濡れ。
申し訳なさが込み上げてきて、私は深く頭を垂れた。


「ドックへ戻られる用事があったんでしょう?すみません。」

「1番ドックの新人濡鼠を放っておく訳にもいかんしの。」

「………すみません。」

「風邪引かんようにな、。明日も仕事じゃからのう。」


ワハハ、楽しそうに笑うカク職長。
貴方も随分な濡鼠ですよ、とは言えなかった。

大きな手が、私の頭を少々乱暴にかき混ぜる。
濡れた髪は変な形に引っ付いたけれど、すぐに職長が直してくれた。
そのまま頬を指が滑る。



ちょっと、痛いです。

骨ばった、ごつごつした、職人の手。

雨の降る中、微笑む、優しい、カク職長。



何も言えず、何が言いたいのかももしかしたら分からないまま。
私はカク職長を目で追う。
その優しげな目を、影を、仕草を追う。
私が何度も、言葉なく口を開くからか、しばらくカク職長はその場から離れなかった。


私も、その優しさに甘えて。
しばらくその場に立ち尽くしていた。


「さて、そろそろ家に入らんとな。、本当に風邪引くぞ。」


くるり、カク職長は私を家のほうへと向き直らせる。
職長の手が離れるのが淋しくて、ドアの前まで進んだところで振り返る。
すると、どうだろう。

手が離れたから、もういないと思っていたのに。
次第に強くなる雨の中だというのに。
カク職長は、私が振り返るのを知っていたのだろうか。



まだそこに居て、もう一度、緩く笑った。





「明日も、の元気な笑顔を見せてくれんか?」

「………勿論です!」

「楽しみに待っとるでの!」


ワハハ、嬉しそうに笑った顔が私の心を掴んで離さない。
その影が消えるまで見送ろうと思ってその場に残っていたのに。
風邪引きたくなかったら早く家へ入らんか!とお叱りが降ってきた。


明日、ドッグに着いたら、カク職長に1番に会いに行こう。
有難うと伝えよう。
最高の笑顔と共に。
カク職長を、笑顔にさせに行こう。


あぁ、今日の私、ついてるかも。
緩んだ口元が、自分でも分かるくらいで恥ずかしかったけれど、
それ以上に明日が楽しみで楽しみで仕方無くて。







***あとがきという名の1人反省会***
拍手から再録のカク職長です。
ずぶ濡れになった状態で、密着って…色んな意味で
危ない気がしますが…ドリーム最高ってことで!

それでは、ここまで読んでいただきありがとうございました!

2008.01.12 水上 空