これ以上、こんな生活を続けたくなかった。
これ以上、生きていても意味がないと思った。



太陽の沈んだ直後の、紅く透き通る川の中。

ふらふらと進み始めた、夏期講習の帰り道。

冷たい水の感触が、私を抱きしめて、突き飛ばしていく。

私は、暖かく包みこんで欲しかったのに。

ただそれだけを、望んでいたはずなのに。







〜レールの造り手〜







親に逆らったことがなかった。
15年間生きてきて、1度もだ。
いや、逆らえなかった、と言うのが正しいと思う。


父は俗に言う仕事人間で、月に1度程度しか家には帰ってこなかった。
カードさえ与えておけば、娘が育つと思っていたと思う。
会話らしい会話は数年していないのに、それでも親だと言うから笑ってしまう。


大好きだった母は、病気がちだった。
父の帰りをいつも少女のように頬を紅潮させて迎えた。
それ以外は、寝たきりに近い状態だった。
先週、私を1人を残して、逝った。


葬儀に出た父は、仕事を残してきたと言って、すぐにまた会社に戻っていった。
涙すら、見せなかったのが酷く頭にこびり付いている。





それ以来、会っていない。
もう1度、会いたかった。
私は、父に罵倒の言葉を掛けたかったのかも知れない。
貴方のせいで、母は死んだ、と。
責任逃れがしたかったのかもしれない。
もう2度と、会いたくなかった。





家には母の代わりにお手伝いさんが居て。
生活に不自由はない。

傍に誰も居なくても、淋しいなんて思う暇がない。
習い事はたくさんある。休んでる暇がない。
家に帰ってからも、誰かに見張られているように勉強をする毎日。

それでも、私にはその世界しかなかったから。
生活に逆らうことの方が怖かった。



でも。
それでも母の笑顔を失ったことは怖かった。
矛盾しているかもしれないけれど、どうしようもなく怖かった。
母の優しい声が無くなってしまったこと。
それは私の安らぎが無くなったと同義語だった。
それは私の人生がこれから、父に乗っ取られるであろう事を暗に示していた。










「お母さん…。」


そう、呼ぶたびに、瞳を閉じるたびに。
母の姿が、私の中に蘇えってくる。
会いたい、そう思っても会えなくなった人。



母が、呼んでる気がした。



夏期講習の帰り道。
迎えの車をうまく撒いて、川沿いの道を歩いていた。





「今行くね、待ってて…。」





私は、汽車に乗って、レールの上を進んでいく。
長い道のりを、どんどんと。
途中で寄った一旦停車の無人駅。
冷たい川のすぐ近く。
車掌の静止を振り切って、駅に降り立った。


ふわふわとした足取りで、初めて人に逆らった気持ちを抱きしめて。
ゆっくりと駅をすり抜けて、川へと歩を進めていく。
どうして、此処に来たのかは分からない。…どうでもいい。
水が、冷たくて気持ちいい。
冷たい水の感触が、私を抱きしめて、突き飛ばしていく。





私は、この冷たさを、望んでいたっけ…?










「君、危ないよ!そっちに行っちゃ溺れちゃう!」


突如、後ろから大きな声が掛けられた。
ちょっと高めの、少年声。
何だか分からないけど焦っているみたいだ。


「真ん中は流れが速いんだから、危ないってばぁ!」


声の主はいつの間にか近くに来ていたようで、私の腕をしっかり掴んでいる。
頬に絆創膏を張った、猫目の男の子。
額に汗を浮かべながら、水の中に分け入ってきている。


「…何しに、来たの?」


うまく回らない頭で、取りあえずそれだけ口にした。


「え?うーんと、何か自殺でもしそうな勢いだったんだもん。」

「じ…殺?…私が?どうして?」

「え〜…俺だってわかんにゃいよ…。でも…」


そこまで首を傾げつつも答えた彼は、そこで言いにくそうに言葉を止めた。
今私を支えている、握り合っている手に視線を止める。
吸い寄せられるように私の視線もそこで止まった。
遠慮がちに握られた手は酷く不安定で。
水しぶきに足を洗われる度、ゆらゆら揺れた。


「何?」

「何か浮かない顔してたから、深刻な悩みあるんだーって思って。」


彼は、顔も上げずに呟いた。
言葉尻ははっきりと捉えられるほどに鮮明なのに。
その声は酷く不安げに、揺らめくように響く。
先ほどまでの激しさの抜けたその声に、酷く驚いた。
彼の顔に視線を戻して問いかける。


「そう…見えた?」


彼は、暫く俯いたままだった。
私の中で、不安が次第に高まっていく。







足元がぐらつく。水に流されてしまいたい。
でも、足元から冷たさが一瞬で這い上がって、どうしていいか分からない。
こんなことは、望んでなかったはずなのに。







「あのさ、…俺で良かったら、話聞くよ?」





一言、告げられた。
優しく、それでいて、頑なな声で。





「言っちゃったほうが絶対ぜぇったい、楽になるよ!」





握られた手が熱かった。
真剣な瞳に照らされて、見つめられて。
彼が心配してくれているのが分かる…伝わってくる。
握られた手から、暖かくなっていく。





「…あなた、変わった人ね…。」

「え、嘘!?…俺って怪しい人?やっばいじゃん…。」

「…ううん。面白い人。」

「…それもにゃんだか微妙〜…。」


苦笑しながら答えると、彼は百面相のようにころころと表情を変化させた。
それが可笑しくて、ついつい笑ってしまう。
さっきまでは赤の他人だった彼に、心を許している自分。
さっきまでは赤の他人だった私を、心配してくれた彼。
胸に根付いた蟠りが、スゥッと溶けていく。


「…ほんとに、話聞いてくれるの?」

「うん!でも取りあえず危ないから上がろう?」


ね、と差し出された手に、私は逆らえなかった。
暖かい手の温もりと、優しい言葉。
母に見たような、暖かな笑顔に、首を縦に振っていた。





冷えた足が、今更ながらに冷たくて、気持ち悪かった。















「はい、タオルーv風邪引くからちゃんと拭こうね。」

「ありがとう…。でもいいの?」

「うん、俺もう1枚持ってるから平気だよー。ほらっ☆」

「ほんとだ。じゃぁ使わせて貰うね?」

「へいへーぃ!」


陸に上がるなり、サッとタオルを差し出す彼は、無邪気に微笑んでいた。
もう1枚持っていたというタオルを翳して、元気に振り回す。
彼は、私がタオルを使うのを待ってから、手に持ったままのタオル使い出した。
…どうやら、使わなければ使わないで、強行するつもりだったようだ。
水分を失った彼の髪は、風と遊ぶようにふわふわと揺れた。





「…君は、何が好き?俺はテニスが大好きっ♪」


どう話を切り出そうかと、思考を巡らせていた私に、彼から言葉がかかった。
ニッコリと笑顔付きで話された事で、少し、緊張感から解放される。
目を見ないと何だか失礼な気がして、彼に向き直る。
…それでも、目はあわせることが出来なかった。


「…部活動か何かでやってるの?」

「うんっ!あんね、青春学園って中学でやってんの!」

「あー、テニス部有名だもんね。」


失礼な態度に、彼は怒らなかった。
少しずつ、ゆっくりと間を取って話す私を責めたりしなかった。
ただ、楽しそうに笑って話を聞いてくれた。
私と、用事以外で話してくれた。


「…それで?君は何が好きなの?」


再度、彼は問い返した。
期待に満ちた、くりくりとした目で、私を見つめながら。
これまでで一番の沈黙にも、彼は笑っていた。










「え…っと…ないかも。」

「えぇ〜!!何か1つくらいあるでしょ、絶対ッ!スポーツとか、テレビとかー!」

「…習い事とかで時間ないから。所詮親の決めた通りにやるしか能がないし、私。」

「……………。」

「親の敷いたレールっていうの?進むしかないの。」





「そんなの可笑しいよ!」





彼は、いきなり立ち上がって怒鳴った。





いつの間にか暮れていく空が、夕日の力を借りて、影を作る。

背中に陽を浴びた彼の表情は、もう見えない。

遥か後ろを、電車が通る。

銀のフォルムに映る、夕日が眩しく反射を繰り返していた。





「親の決めた通りなんて、しなくて良いじゃん!
君は君で、やりたいことやればいいんだよ!
本当に自分がやりたいことやるのと、逆らうってのは違うんだから!」

「あ…えと…あの…。」





弁解の言葉も浮かんでこない。
私は、結局言葉に詰まった。
彼の言葉だけが、私の脳を侵食していく。
怒られているけれど、暖かい言葉だと思った。




「君は、君で、歩いていけばいいんだよ!?」

「……………。」





彼が、本気で私のことを思って、怒ってくれているのが分かるから。





「…あ…う、と…ごめん…ちょっとカッとなったかも。」

「ううん、良いよ。」


ストンと、力が抜けたように、彼は元の位置に座りなおす。
それきり、2人して黙ってしまった。
沈黙は嫌いなはずなのに、今は嫌ではないと感じた。










「話聞いてくれて、ありがとう。暗くなったし、帰るね。」


夕焼けが藍色に変わる頃合を見計らって、私は思い切って声をかけた。
立ち上がって、スカートを払う。
彼は、座ったまま、私を見上げている。


「あ…送るよ?それにカッコつけた割に、俺、話聞けてないし…。」

「良いよ、大丈夫だから。」

「でも…。」


それでも引き下がろうとする彼に、私は告げる。
ゆっくりと、微笑みが浮かぶのが分かった。


「…私、。あなたは?」

「…菊丸、英二…。」

「英二君ね。また、会おうね。」

「あ…ちゃん!?」


それだけすると、家への道を走り出す。
後ろから掛かった声に、1度だけ私は振り返った。
片手を高々と上げる。





「コレ、必ず返すからー!!」





私の手からはみ出したタオルは、大きく風に揺れた。















青春学園テニスコート。
今日も菊丸は、大好きなテニスと共に生活している。
休憩時間に入ってベンチに腰掛けると、すぐ後ろから声が掛かった。


「先輩、お疲れ様です。コレ、使ってください!」

「え?ありがとー……」


菊丸が振り返る先には、見慣れたタオルがあった。
それを差し出す、白く細い手があった。
素早い動作で相手の顔を見上げる。


「お久しぶりです、英二せ・ん・ぱ・いv」

…ちゃん!?えと…此処の生徒だったの…?」


しどろもどろになる菊丸に、はニッコリと微笑んで告げた。
手には2年の学生手帳が握られている。


「先週、転校してきたんです。先輩に会いたかったから。」

「……………そりゃーどーもっ!」





最上級の笑顔で、菊丸も笑った。










レールを作るのは、乗客じゃない。

それは、本当の電車だけのお話。

それを、人の人生に例えるのは間違ってる。

親の作ったレールなんて、間違ってる。



親は、子供のレールの造り手じゃない。

ある程度まで、心が成長したら。

子供は、自らレールの造り手になる。

いろんな世界を旅していく。

自分で道を選んで、決めていく。





―――…それは、昔話じゃなく、今も世界で造られているお話…―――







***あとがきという名の1人反省会***
久しぶりに書きました…テニプリの菊丸夢をお届けですv
…っとまぁそれは後ほど語るとして、300Hit記念のフリー夢です。
お持ち帰りされるチャレンジャーな方はご自由にどうぞ。
事後でも良いので報告があるともっと嬉しいですv
叱咤激励、感想もお待ちしています。

えーと。これを思いついたのが、8月10日だったんですけども。
この日は「道の日」ということで、
「道は自分で切り開いていくものだよな〜、親に造って貰うのは違うなぁ。」
という何ともテキトーな考えから書いてしまったのです。
なので、これでもかってほど意味不明な感じで申し訳ないです。
名前も出てこないわ、終わりが微妙だわ…(自覚あるのかよ

テニプリ夢を更新するのもホント久々で、書いてるうちに良くわかんなくなりました。
ファンの方、怒らないで下さいね(無理だ

何にせよ300Hitありがとうございましたv

2005.8.20 水上 空