時間は、戻らなかった。

傍に居て欲しい人は。
いつしか、人の彼女(モノ)になっていた。

それでも良かった。
幸せそうに笑う貴女を見ていられたから。
それで良かった。
それで良かったはずだった。

だから、これは、裏切り。

そう、親友に対する。
ほら、貴女に対する。





自 分 に 対 す る 裏 切 り だ か ら 。







〜凍ったココロ -side B・T- 〜







明日は彼女の誕生日。
日付が変わるまであと少しだ。

今年も彼女はまた、1つ年をとって。
今まで以上に輝いていくのだろう。


愛しい人の、誕生日。


だというのに。
今、自分のココロはこれ以上ないというほど落ち込んでいた。

ベッドに横になりながら。
ため息ばかりが部屋を舞う。
携帯の時間をチェックしながら、お祝いのメールを作成する。


カチカチと、時を刻む音。
カチカチと、ボタンを打つ音。


周りを取り巻くミスマッチな機械音。
代わり映えのしない音に自分が重なって。
知らず知らずに、鼓動は早鐘を打つ。

頭に浮かぶのは、彼女の顔と、親友の顔。





彼女…は、自分の親友の虎鉄と、付き合っている。
お互い惹かれあっている2人。
幸せそうに微笑む2人。
その横で。
虎鉄を、友達として好きな自分。
に、恋愛感情を抱いている自分。





未だにオレは、想いを隠し通して、2人の傍で笑い続けている。



壊したくない友情を、守り続けたまま。
伝えられない想いを、胸に秘めたまま。





作成したメール。
ボーっとした頭で手を動かす。
誕生日を祝うだけ、ありきたりの内容。
それだけを送るつもりだった。


でも。


ディスプレイには、無意識に打ち込んだ想いがはっきりと写る。





誕生日おめでとう。

好き。





驚きはしなかった。
自嘲気味に失笑って、頭を抱える。



…本当の想いはたった2文字。
…言えない想いは、たった2文字。



今なら、たったボタン1つを押すだけだ。
それだけで想いが伝わるのだ。
頭の中で響く誘惑に負けそうになりながら、ボタンをじっと凝視する。





暫くして、携帯を布団の脇へと軽く抛る。





友情を取るんじゃなかったのか。
2人を応援するんじゃなかったのか。

この想いは、知られてはいけないのだから。







ゆっくりと瞳を閉じて、闇の中を漂う。
暗く立ち込める闇は、自分のココロのようだ。
深く、冷たく、混沌としていて。
全てを飲み込み、光さえも吸い尽くす。

自分のココロのようだった。







「情けなかね…。」


幾度目かのため息と共に、冷たい雫が頬を伝った。
ゆっくりと流れるそれは、耳元まで落ちるとベッドに吸い込まれて淡い染みを作る。
雫がこれ以上零れないように、ギュッと目に力を入れる。
それだけでは足らず、袖で乱暴に目を擦り挙げた。


とくん、とくん、とくん。


規則正しい自分のリズム。
いつもより心持ち早いリズムだけが耳に届く。


とくん、とくん、とくん…。


深呼吸を何度か繰り返すと、次第にそれもゆっくりになる。
涙も、乾いてきた。
多少目じりが突っ張っている気がするが、気にしないことに決めた。
もう、大丈夫だ。
そう自覚したとき、気を張っていた体から力が抜けるのを感じた。



目を閉じたままだった猪里は、そのまま眠りへと吸い込まれていった。

は、どうしているだろうか。
淋しがっては、いないだろうか…。

意識を手放すその瞬間まで、そんなことを考えていた気がする。
自分では、どうすることも出来ないのに。
の傍には、居てはいけないのに。



…慰めることが出来るのは、虎鉄だけ、なのに…。










「………高はアッチで有名な高校だ。野球の実力の程はたかが知れているとは思うが…。
初戦を突破したくらいだ、念には念を入れて視察を行いたいと思う…」


遠くから、聞き慣れた監督の声が響く。
声は映像も一緒に連れてきて、次第に景色が鮮明になっていく。
練習の直前。
監督の言った言葉に、皆の顔が多少綻んだのを覚えている。
ただ、その中で虎鉄とだけ、険しい顔をしていたことも。


理由は分かっている。
明日…つまり偵察の日は、の誕生日だ。


練習が終わるとすぐ、虎鉄はの所に走ってきた。
の目の前にたどり着くとすぐに、両手を顔の前でパンッとあわせていた。
…虎鉄は偵察のメンバーに選ばれていた。
約束をしていたのだろう、必死に謝る虎鉄の姿。
それを笑って許すの姿。
仲の良い、自分の親友達を、猪里は遠くからじっと見ていた。



遠かったから、声は切れ切れにしか聞こえてこない。
切れ切れに聞こえる言葉は、意味を成さず、耳から耳へと抜けていく。
丁度、水を掬い上げたときのように。
手からすり抜けていく、零れていくような感覚を味わった。
求める情報が手に入らずに、腹立たしさに舌打ちをする。
後ろではいつものことながら、猿野が五月蝿い。
2人の声が聞こえるほうが異常な時間の中で、猪里は必死に言葉を拾って、かき集めた。
ありとあらゆる神経を研ぎ澄ませて、真剣に2人を見ていた。



少し、淋しい。
少し、悲しい。
気付いて、気付いて、気付いて…。



微笑んだは、哀しげな表情を出さなかった。
感情を押し殺した、深い闇を瞳に携えて。
どれだけ耳を澄ましても、声は聞こえてこない。
それでも。
の瞳は、そう語っているように見えた。
気のせいなんかであるものか。
けれど…けれど。
それを口にしようとしないと、気付かない虎鉄。
切なくて、やりきれなくて…。
何故だか腹が立って…1歩…2歩…、2人に歩み寄る。
頭の中には土砂降りの雨のような、酷く煩わしい音がまとわり付く。





「…里君、…ちょっと来てくれるかい?」





牛尾の呼びかけに我に返った。
振り返ると、心配そうな牛尾の顔と鉢合わせた。
何ですか、と傍に寄ると、牛尾はゆっくりと猪里の背を押して他愛もない話をしながら歩き出した。



牛尾は、知っているらしい。
猪里の気持ちも、今、何をしかけたのかも。


そうですよね?


…目だけで問うと、牛尾は薄く、哀しげに笑った。



牛尾の優しさが、チクリと胸に突き刺さる。
笑顔が、瞳が。
まるで自分を責めているかのように。
チクリ、チクリとココロに穴を開けていく。
それはいつしか、頭を殴るような衝撃に変わっていった…。










幾度目かの衝撃に頭を抑えながら、猪里は目を覚ました。
夢の中での衝撃はリアルなものだった。
ジンジンと痛む頭を撫でつけると、コブが出来ていることに気付く。
うなされている間に、本棚で頭を打ったようだった。
無造作に抛っておいた携帯を手に取ると、日付はとっくに変わって、0時半になろうとしていた。



まだ、夢から醒めきらない身体を強引に鎮めると、コールボタンをゆっくりと押した。
規則正しい呼び出し音に合わせて呼吸を整えていく。


は寝ているかもしれない。
それでも良いと思って呼び出し音を聞く。


が、予想に反して、あっさりと電話は繋がった。



「お誕生日おめでとうっちゃ。」

「…ありがと、猪里。」


呼び出すうちに整った呼吸は、の声を聴いた途端に跳ね上がった。
暗い、悲しみが取れる声。
元気付ける言葉を捜してみるが、一向に思い浮かばない。
虎鉄だったら、即座に思いつくのだろうと思うと余計に落ち込んでくる。


、元気なかね?」

「そんなこと無いよ?」


ありきたりの言葉しか出てこない自分に、嫌気がした。
ありきたりの言葉で返させた自分に、腹が立った。
の言葉は、嘘だった。
心配をかけないように、と配慮した、優しい嘘。
暴き立てるのは気が引けたが、猪里はそれでも嘘を見破る。
優しい嘘は、を傷つけると、知っているから。


「…虎鉄から、連絡ないっちゃ…?」

「…まぁね。鋭いね、猪里は。」

「あん馬鹿が…の元気奪うなんて酷か奴ばい。」

「いや、そこまで言わなくても。所詮私よ。」

「そげんこつなか。彼女の誕生日は真っ先に祝うのが普通たい。」


さらりと、猪里は口にした。
が本当に望んでいたことを。





それが当然だ、と。





本心だった。
友達としていった言葉ではない。
けれど、は気付かない。
そんな自信がどこかに在った。
ココロに開いた無数の穴から零れ落ちた。


隠し通した真実。






それでも、罪悪感は猪里を締め付ける。
チクリ、チクリ。
痛みに耐え切れなくて、慌てて言葉を付け足した。





「元気だし。は元気が一番やけん。」





それから暫く、は黙った。
感情を押し殺しているのだと分かる、喉の奥の、かすれた音。
遠くから響く音に、耳を傾ける。
泣かせてしまったのだろうか?
謝罪の言葉を発しようと、口を開いた瞬間。
いつもの声音で返答があった。


「…猪里ぃ、あのさぁ。」

「ん?」

「今日、遊べ。折角の誕生日だから、祝え。」


口調はとても明るかったと思う。
電話越しなのに、が笑ったのが分かった気がした。
ここで断れば、悟らせまいと、また、頑張り通すのだろう。
胸に込み上げた切なさと共に、答えを返そうと、口を開いて。



口を開いて…留まった。
それは、虎鉄に対する裏切りに、他ならなかった。
罪悪感が、ココロの中で、小さく弾けた。


何度も、何度も。


それでも。



を哀しがらせるよりは、ましだと思った。
が喜ぶなら、幾らでも、最悪感を背負って生きてやろう。



「命令形か…。分かったっちゃ。ばってん、虎鉄に悪かね…。」

「仕方ないでしょ、明嬢戦のための偵察部隊なんだし。」

「…なんで断らんかね、虎鉄はあほばい…。こげんを悲しませて…。」

「…仕方ないよ。私だって大河の性格分かってて付き合ってるし。」

「……。」

「そんなことよりさ、今日はどこ行こうね?」







の声に、ふと我に返った。
何も、言えなかった。
それで、正解な気がした。
言いたかったのかもしれない。





…何を?





考えた途端、ココロのどこかでけたたましく警告音が鳴り響く。





微かな吐息すら吐き出せないほどの、警告音。







言っては駄目だ。
止まらなくなる。
隠し通した気持ちも。
見守ると決めた決意も。
2人との、友情関係も。







壊せない、壊せない。

壊したい…壊したい?







ふと湧き上がった感情を強引に押し殺した。



それから約束をして、他愛無い会話をして。
寝坊しないように寝るよ、というにお休みと付け足して、電話を切った。
罪悪感に沈んでいたはずなのに、どこか喜んでいる自分が居た。
胸が悪くなるような感情に顔を顰めると、そのまま、朝まで強引に眠った。










罪悪感、チクリ、チクリ。
目を閉じれば、虎鉄の顔がふわり、浮かんで消える。
親友を、裏切った痛み。
今まで隠していた傷が、悲鳴を上げて血の涙を流す。



オレは、伝えて良いんだろうか。
オレは、…伝えたいんだろうか。


が好きだ。
が、好きだ。


虎鉄はどんな顔をするだろうか…?





裏切りたくないココロ。
裏切りたいココロ。





どちらが、本当のオレなのだろうか?





ココロは、そのまま凍りついたかのように。
それから先は、考え付かなかった。
そのまま、時は止まってしまったかのように。
オレの感情をも止めて、ココロごと、縛り付けてしまった。





そこに残ったのは…冷酷な、感情…?














***あとがきという名の1人反省会***
はい、凍ったココロ、side Bは、猪里でした!!
何で虎鉄でないんだろう…と思った貴女!正解です(何が
ただ単純に虎鉄のネタが思いつかなかったんです。
主人公よりに居なかったため…ですかね?
まぁ、何とか考えます。

今回は、猪里君の心の内…って事だったんですけど、楽しんでいただけたでしょうか?
純朴な猪里君はさんへの想いと、虎鉄への想いの境で迷ってるんですね。
片思いですよ、彼氏が居る人への。
しかもその相手が親友…限りなく泥沼?な形です。
それでも、傍からの応援って形を貫こうとして。
それでも、押さえがきかなくて…。
切ない気持ちを精一杯書いたつもりです。

その割に猪里君の語り、少ないですけどね(阿呆か

えーと。前に書いたときからだいぶ(3ヵ月くらい)時間が経ってしまいました。
まぁ…ホムペ開設のが後なんで気にしませんけど(気にしろ
次はそんな悠長なこと言ってられないんで、次こそ早くアップします!

それでは、ここまで読んでいただきありがとうございました!!

2005.5.3 水上 空